NHK連続テレビ小説『ブラッサム』で、石橋静河さんが演じる主人公・葉野珠。そのモデルが、明治・大正・昭和・平成を生き抜いた作家の宇野千代さんです。
第6週第27回で珠の早産が描かれたことをきっかけに、「宇野千代に子供はいたの?」「宇野千代の子供は今どうしているの?」と検索する人が増えています。恋多き作家として知られ、生涯で4度結婚した宇野千代さんですが、子供についてはあまり語られてきませんでした。
この記事では、宇野千代さん本人の作品や対談で語られた内容をもとに、子供の有無を結論から解説します。あわせて、4度の結婚と夫たちの顔ぶれ、娘のように支えた秘書の存在、ドラマ『ブラッサム』との違いまで整理します。
- 宇野千代に子供はいたのか(結論から先に解説)
- 本人が作品や対談で語った、子供を亡くした経験
- 14歳の最初の結婚から北原武夫まで、4度の結婚と夫の一覧
- 子供の代わりに「娘」のように支えた秘書・藤江淳子さんとの関係
- 朝ドラ『ブラッサム』で早産が描かれた理由と、史実との違い
※この記事には、ドラマ『ブラッサム』第6週までの内容と、流産・死産に関する記述が含まれます。
宇野千代に、成人した子供はいなかった
先に結論をお伝えします。宇野千代さんには、生涯を通じて、成長した実子はいませんでした。そのため、「宇野千代の子供の現在」や「子孫」にあたる直系の家族は存在しません。
ただし、「一度も子供を授からなかった」わけではありません。宇野千代さんは、2度目の夫・藤村忠さんとの間で何度も妊娠しながら、子供を亡くした経験があったことを、晩年の対談で明かしています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 成長した実子 | いない |
| 妊娠・出産の経験 | あり(2度目の夫・藤村忠さんとの間) |
| 本人が語った内容 | 6人の子供を亡くした(瀬戸内寂聴さんとの対談) |
| 生きて生まれた子 | 1人の女の子。数日で亡くなったとされる |
| 子供のように支えた人物 | 秘書の藤江淳子さん |
宇野千代が語った「子供を亡くした経験」
宇野千代さんは、代表作である自伝的小説『生きて行く私』の中では、子供を亡くした経験についてほとんど書いていません。それでも、いくつかの作品や対談で、そのことに触れています。
瀬戸内寂聴さんとの対談で明かした「6人」
もっともはっきりと語られているのが、瀬戸内寂聴さんの著書『わたしの宇野千代』(中公文庫)に収められた対談です。ライターの木俣冬さんがYahoo!ニュース エキスパートで紹介した内容によると、宇野千代さんはこの対談で、藤村忠さんとの間にできた子供を6人亡くしたと語っています。
そのうち1人だけ生きて生まれた女の子がいて、「寵子(ちょうこ)」と名付けたものの、間もなく亡くなったと伝えられています。
短編『私と子供』に書かれた「生まれて3日」
子供について触れた作品に、昭和10年(1935年)に発表された短編『私と子供』があります。同じく木俣冬さんの記事によると、この作品の語り手は、以前子供を産んだことがあり、その子は生まれて3日で亡くなったと書いています。
ただし、この作品はエッセイとも創作とも読める短編で、語り手は「子供を可愛がらない」と自分を語っています。どこまでが実体験なのかは分からず、亡くなるまでの日数も、寂聴さんとの対談として紹介されている内容(1日)とは食い違っています。本記事では、どちらか一方を断定せず、「数日で亡くなった」としています。
なぜ長く語られなかったのか
宇野千代さんは「自分を不幸だと思わないように工夫して生きる」ことを信条にしていた作家です。つらい出来事を積極的に作品にしなかったのは、その生き方とも関係しているのかもしれません。
『ブラッサム』の制作統括・村山峻平チーフプロデューサーは、取材会で「早産について触れた作品が晩年にふと現れる」と話し、表立って言いたくなかった事柄だからこそ、そこに思いがあったのではないかと語っています(木俣冬さんの記事より)。
宇野千代の4度の結婚と夫たち一覧
宇野千代さんは生涯で4度結婚し、そのほかにも画家の東郷青児さんと同棲していた時期があります。結婚相手と時期を表にまとめます。
| 順番 | 相手 | 時期(とされる期間) | 主なできごと |
|---|---|---|---|
| 1人目 | 藤村亮一(いとこ) | 1911年ごろ・約10日 | 数え14歳で結婚し、すぐに実家へ戻る |
| 2人目 | 藤村忠 | 1919年〜1924年ごろ | 札幌で暮らし、懸賞小説で作家デビュー。何度も妊娠した時期 |
| 3人目 | 尾崎士郎(作家) | 1926年〜1930年ごろ | 東京・馬込の文士村で暮らす |
| (同棲) | 東郷青児(画家) | 1930年〜1934年ごろ | この時期に聞いた話がのちの『色ざんげ』に |
| 4人目 | 北原武夫(作家) | 1939年〜1964年ごろ | 雑誌『スタイル』を一緒に手がける |
※1人目の結婚は、PRESIDENT Onlineの記事で数え14歳・約10日と紹介されています。各結婚の期間は資料によって前後するため、目安としてご覧ください。
1人目:いとこ・藤村亮一との10日間の結婚
最初の結婚は、数え年で14歳のときです。相手は3歳年上のいとこ・藤村亮一さんでした。しかし、この結婚は約10日で終わり、宇野千代さんは14歳で離婚を経験しています。
2人目:藤村忠と札幌へ。作家デビューの時期
18歳で故郷の岩国を離れた宇野千代さんは、のちに藤村忠さんと結婚して札幌に移ります。この時期に書いた『脂粉の顔』が懸賞小説で一等に選ばれ、作家としての道が開けました。
先ほど紹介した「6人の子供を亡くした」という話は、この藤村忠さんとの結婚生活の中での出来事です。作家として世に出た時期と、子供を亡くし続けた時期が重なっていることは、あまり知られていません。
3人目:作家・尾崎士郎との結婚
上京した宇野千代さんは、作家の尾崎士郎さんと出会い、藤村さんと別れて尾崎さんと暮らし始めます。のちに『人生劇場』で知られることになる作家で、二人は東京・馬込の文士村で生活しました。
同棲:画家・東郷青児と『色ざんげ』
尾崎さんと別れたあとは、画家の東郷青児さんと同棲しました。東郷さんから聞いた恋愛と心中未遂の話をもとに書いたのが、のちの代表作のひとつ『色ざんげ』です。この時期は正式な結婚ではなかったため、「4度の結婚」には数えられないのが一般的です。
4人目:北原武夫と雑誌『スタイル』
最後の夫は、作家の北原武夫さんです。二人はファッション雑誌『スタイル』を創刊し、宇野千代さんは着物デザイナーとしても活躍するようになります。結婚生活は20年以上に及びましたが、のちに離婚しています。
子供の代わりに「娘」となった秘書・藤江淳子さん
実子のいなかった宇野千代さんの晩年を支えたのが、秘書の藤江淳子さんです。1950年代後半から宇野千代さんが亡くなるまでの長い年月、仕事と暮らしの両面で寄り添い続けたとされています。
宇野千代さんは著書『人生学校』の中で、本当の子供には恵まれなかったが、本当の子供以上ともいえる娘に恵まれた、という趣旨の言葉で藤江さんのことを書いています。藤江さんは宇野千代さんの葬儀で喪主を務め、著作権も引き継いだと紹介されています。
血のつながりはなくても、「娘」と呼べる存在がいたことは、宇野千代さんの人生を語るうえで欠かせない事実です。なお、『ブラッサム』で藤江さんにあたる人物がどう描かれるかは、執筆時点では公式に発表されていません。
朝ドラ『ブラッサム』で早産が描かれた理由
第6週第27回、珠の早産
『ブラッサム』第6週第27回では、主人公・珠が結婚して「木村珠」になった直後に、早産する場面が描かれました。夫の保は、宇野千代さんの2人目の夫・藤村忠さんにあたる人物です。
制作統括が語った「描くと決めた理由」
村山峻平チーフプロデューサーは、『生きて行く私』の中で宇野千代さんが子供たちにとても優しいことに触れ、だからこそそこに一つの悲しみがあったのではないかと考えた、と語っています。スタッフで何度も話し合ったうえで、ドラマに入れることを決めたそうです。
さらに、宇野千代さんの「花咲かばあさんになりたい」という思いの根っこに、この経験があったのではないかという見方も示しています。これは制作側の推察であり、宇野千代さん本人がそう語ったわけではありません。
ドラマと史実の違い
| 項目 | 史実(宇野千代) | ドラマ(葉野珠) |
|---|---|---|
| 名前 | 宇野千代 | 葉野珠(結婚後は木村珠) |
| 2人目の夫 | 藤村忠 | 保 |
| 子供を亡くした経験 | 対談で6人と語る | 第6週で早産を描写 |
| 描き方 | 代表作『生きて行く私』にはほぼ書かれていない | 制作側が「描く」と決めて取り入れた |
村山チーフプロデューサーは、『生きて行く私』そのものも事実をどこまで書いているか分からない自伝的小説だとしたうえで、史実を「エピソード」として選び取りながら物語を作っていると説明しています。ドラマの展開がそのまま史実だとは限らない点に注意しましょう。今後の珠の人生にこの経験がどう結びつくかは、「最終盤に向けて検討中」とのことです。
宇野千代のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1897年(明治30年)11月28日 |
| 出身 | 山口県(現在の岩国市) |
| 亡くなった日 | 1996年(平成8年)6月10日・98歳 |
| 職業 | 小説家、着物デザイナー、雑誌編集者 |
| 代表作 | 『色ざんげ』『おはん』『生きて行く私』など |
| お墓 | 岩国市の教蓮寺、東京都港区の梅窓院 |
18歳のときに逃げるように故郷を離れた宇野千代さんですが、晩年は岩国の生家に帰って過ごす時間を大切にしていたと、岩国市の宇野千代特設サイトで紹介されています。生家は現在も見学でき、朝ドラをきっかけに訪れる人も増えています。
宇野千代の子供・家族に関するよくある質問
宇野千代に孫や子孫はいますか?
成長した実子がいなかったため、宇野千代さんの直系の孫や子孫はいません。弟や妹はいたため、きょうだいの家系はあります。
宇野千代は養子を迎えましたか?
養子を迎えたという公的な記録は、執筆時点で確認できませんでした。娘のような存在として知られているのは、秘書の藤江淳子さんです。
東郷青児とは結婚していたのですか?
東郷青児さんとは同棲していた時期がありますが、正式な結婚ではありません。そのため、一般的には「4度の結婚」に含めず、同棲相手として扱われています。
まとめ:宇野千代の子供と4度の結婚の要点
最後に、この記事のポイントを整理します。
- 宇野千代さんに、成長した実子や直系の子孫はいない
- 2人目の夫・藤村忠さんとの間で、6人の子供を亡くしたと瀬戸内寂聴さんとの対談で語っている
- 生きて生まれた女の子「寵子」も、数日で亡くなったとされる(作品と対談で日数に違いあり)
- 結婚相手は藤村亮一、藤村忠、尾崎士郎、北原武夫の4人。東郷青児さんとは同棲
- 晩年は秘書の藤江淳子さんを「本当の子供以上の娘」として頼りにしていた
- 『ブラッサム』第6週の早産は、晩年の作品や対談をふまえて制作側が描くと決めたもの
恋多き作家として華やかなイメージで語られることの多い宇野千代さんですが、その陰には、長く語られなかった深い悲しみがありました。ドラマ『ブラッサム』の珠がこの経験をどう乗り越えていくのかにも、注目していきたいところです。

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